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アネットへブン物語2

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わたしたちが、家を借りてその中で模擬支配的なシーンをとっていたの。ところがその

隣では家を貸してくれた女性の子供たちが遊んでいたのよ。わたしたちは、皮製の

衣服や鞭だけを身に着けてほとんど裸だったのよ。そう、予想通りのことがおこったわ。

クリーニング店の職員が、その女性の衣服のクリーニングを終えて玄関に届けに来た

のよ。彼はショックを受けていたわ。当然よね。彼が見たのは皮製のブラとガーター

だけを身にまとい、鞭を手にした2人のグラマーだったんだもの。しかも私の鞭はほか

の女性の首に巻きついていたの。よく覚えているわ。彼は目の玉を飛び出さんばかり

だったわ。彼はクリーニングした衣服を置いて立ち去ったんだけどが、彼は私たちから

目を離したわけではなかったの。撮影は続けられ、彼はその間もずっと見学していた

わ。そして子供たちも帰ってきた・・残念ながらね。その時私は浴室で化粧をしていたし、

若い女優は撮影の間でバスローブをきてのんびりしていたから、子供たちはいずれに

せよそんなにたくさん目撃したわけではないと思うけれど、あせったわ・・。1970年代

の終わり、彼女は歯科口腔外科の手術を受けている。もう痛くて大変だったの。私は

歯並びを変えるために相当額を投資したわ。わたしは笑えるし、カメラ写りもよくなっ

たと思う。」

映画に全力を投入しながら、アネットはサンフランシスコのオファレル劇場で生の

セックスショーに出演してストリップを続けている。同僚のポルノ女優であるDorothy

LeMayはこう言っている。

「私たちはMitchell Brothers映画で1週間ほど共演したことがあるわ。 アネットは

大きな dildo を私の女陰に突っ込む役なんだけど、わたしが、あなたって情け容赦

もないのねっていったくらい役に没頭していたわ。。誤解しないでね。彼女は舞台が終

わるととってもやさしいのよ. 私が横たわっていて音楽が早くなると彼女がレザーの

衣装を着て出てくるの。私の陰唇からストリングボールを引っ張りだすまではよかっ

たんだけど彼女ったら強く引っ張りすぎて、奥にひとつ残ってしまったの。最後の日

は出演できなかったわ。 誤解しないでね、彼女を非難しているんじゃないの。彼女は

自分の役柄を理解して、それを演じきっているっていう点を強調したいだけなの。」

アネットヘブンは完璧主義者としての名声を得た。

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「タワーオブパワー」において彼女はハーシェルサベージとのファックシーンをこなす

一方で、最高レベルの経営者の役割を見事に演じた。彼に書類を提出させようと

するが、彼がそうせず妥協しないので、私は彼を床にほうりなけたの。それは台本

にはなかったので彼はびっくりしたみたいね。彼女のお気に入りの俳優はリチャード

パチェコだった。

"私は彼と一緒に仕事をした時、、私のオーガズムが、あんまり強かったので私は

気を失ってしまったの。気がついたとき、私は彼の腕の中だったわ。外のみんなが

帰宅していまったにもかかわらずよ。彼は、彼でアネットが「ポルノ映画の最初の

偉大な美人.. ...彼女はまずやってみてそれから質問する。彼女は、人間のセクシュ

アリティの暗い面を知っており、だからこそ逆にポジティブな感情を受け入れ、ゾッと

するような感情を避け、キャリアを積み重ねてきた。ある場面を撮影するとき、ほか

のセットと同じ演技は決してしないのだ男性がアネットの周りの女性に無礼な振る

舞いをすれば、彼女は彼を解任したと思う。アネットの興行収入があったからできる

ことともいえるが、彼女はじつにまめに新人の世話をした。彼女は新人たちにだれ

とでも性交しなくてもいいし、そうする必要はないのだと教えた・・実にスマートで、

まるでIBMの効率化の専門家のようだったよ。彼女は、映画ビジネスがどんな

ものかよく知っていた」

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アネットヘブン物語3

彼女の態度はしばしば他の女性のポルノスターとの衝突や監督との摩擦が引き起こ

した。有名な女性プロデューサーのスベトラーナ=マーシュは、アネット「本当に扱い

にくい人だったわ。まあスター'と仕事をするといろいろ大変なのよ。演技にはいって

しまえばうまくいくのだけれども、問題はどうやってそうさせるかなの。取り扱いには

注意しないとね」

 アネットも、自分もスターとして扱うことを要求する他のトップポルノ女優と問題を

抱えていた。

「私は、Desiree Cousteauと緊張関係にあったの。私たちはお互いに陰唇に舌を

這わせることになっていて、監督がそういっているのに彼女ったら私に身体を

触らせないのよ。冗談じゃないわ。彼女とは2度と仕事をしたくないわ。好きになれ

ない他の女優はセカかな。私は撮影を終えて自分自身への楽屋に帰ってきたの。そう

したら私より先にセカがいて、私のテーブルから私のものをどけて自分の化粧をして

いるのよ。それなのに彼女はなんだかよくわからない理由で、とっても汚い、私にとって

非常に無礼なことをいったの。私は表面的には落ち着いて見えたかもしれないけど、

内側では怒りが沸騰している状況で、いい仕事ができるとは思えなかった。彼女はとう

ていプロとはいえないわ。」
"
女優とは異なり、男性のポルノスターの多くはは彼女と仕事をするのを好んでいる。

ジョンゼーマンは「美しくて聡明なひとだったね」

と振り返った。流行の「顔射」は断固として拒否したが、彼女にはなんともいえない

魅力があり、人気があるのは当然だよ。」

値する。"リチャードパチェコも、「才能のある女優だったね。そして、彼女とセックス

をするのは素晴しかったよ」といった。

アネット自身は、男性のポルノスターは自分に対しては他の気まぐれ女優を相手に

する時のような嫌な感じをいだかったようだ、とコメントしている。「そういう人が多い

のも事実よね。でもそれは彼女たちの問題で、私は違うわ。第一私がそんな嫌な

やつならこんなに仕事が舞い込んで、トップ女優になれると思う?」

それでも彼女は自分が「厳しい人であり、自分が満足するように演技するパートナー

を求める」ことを認めている。しかし、彼女はその発言の真の意味を明らかにするた

めに、こう付け加えた「撮影現場では出演者がみんな冷静で、自分の役割だけで

なく、相手の役割や立場もきちんと理解して尊重すべきだってこと。」

この業界をリードする女優の一人としてアネットの地位が確立したのは1979年のこ

とだった。女優ボー=デレクの夫のジョン=デレクが、彼のポルノ映画のデビュー

作「Love You(1979年)」で、彼女を主役に据えたのだ。この作品には、レスリー=

ボーベイ、エリック=エドワーズ、ウェイド=ニコルズなども出演していた。通常のポル

ノ映画と異なり、この作品ではセックスの過剰な描写はなかった。もちろん一般映画

と異なり、そういう場面がことさらに隠されていたわけではなかったが、とにかく作品

は豊かで美しかった。「典型的なポルノ映画」ではないこの作品では、スワップしよ

うとする2組の夫婦の対話が延々と描かれていた。ボーデレク自身はプロデューサー

で、出演はしなかったが、夫のコンサルタントとして常に4人のポルノスターとともに常

に現場にいたのだった。アネットは後にこう回想しているリコール:"ボーがプロデュー

スし、ジョンが監督だった。私たちは、ロサンゼルスでもサンフランシスコでもハワイで

もロケ撮影をしたわ。興味深い経験だった。すばらしい人たちだった。私は本当に

彼らが好きよ。」

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アネットへブン物語4

ポルノにおけるアネットの哲学

 児童ポルノにはアネットは絶対反対だった。 "私はそういうことを考えるのも

嫌なの。この業界にキンキーなものが絶無というわけではないけれど、今までそう

いう行為は認めなかったわ。とにかく嫌なの...児童ポルノは許せないです。私は、

子供を健全な雰囲気の中で成長させようとしないものには信用できないわ。」

 ポルノ業界の第一世代に属する多くの人がそうであるように、アネットもこの

産業を、あまりにも人間性を無視した保守的な認識と、社会への性的不平等に

立ち向かうための手段として考えている。彼女は本当にポルノの価値を信じて

いて、こう言っていた。

「ポルノは人々にセックスがごく普通のことであり、美しく、楽しみであることを

教えたわ。これを見る女性たちにどのように性交したり、良いフェラを与えたら

いいか教えてきたわ。映画をみて自分の性的テクニックを向上させたひとは少なく

ないはずよ。それに。ポルノは治療的意義もある。私の運動は大衆に自分たちの

生活の一部として、セックスを受け入れるよう

にすることです。自然な欲求を抑制するのは不自然よ。私たちはごく普通に睡眠を

とり、食べ、息をするじゃない。セックスだって同じよ」

「All About Annette' (1982)」で彼女は「私だっては、料理も裁縫も掃除もす

るし、産着も用意するわ。

... ...私と他の女性たちの

唯一の違いは私はセックスはすばらしいと思っているし、それを隠そうとしない

ことよ。私がこの業界にいるのはアメリカ人の態度を変え、セックスは悪くない

ものだ、ということを確実にするためなの。私はまだ自分は、淑女だと思ってい

るわ。」ポルノ女優をステレオタイプとして論じる態度胎動の攻撃に彼女は反論

し「男性がセックスするのには寛容なのに女性には厳しいからよ。

だから性的な業界に参加する女優はさんざん批判されるんだわ。この業界の男性

は、人々に尋ねられる:'うわあ、こんな美人とセックスするってどんな気持ち

なんだい?ところが女性が受ける質問は「どうしたらそんなことができるので

すか?」なのよそしてそれが平均的な世間というものなの」アネットは他のより

深刻な問題についても言及している。 「セクシュアリティについて話すための

はうってつけの出発点ではあるんだけど、私のガールフレンドが?パトリシア

とシャロンっていうんだけど?父親に暴行されて、出産させられるというショ

ッキングな事件があったのよ。一人は 13歳でもう一人は17歳だった。13歳-と

いってもそれは出産した時でレイプされたとき彼女は12歳だったのよね。その

少女が出産し、赤ちゃんの面倒をみることを強制されたの。パトリシアは私に

余儀なく行われた妊娠を中絶してくれる医者を見つけてほしいって泣いて頼んだ

の。私は14歳だった。私はどうしていいかわからなかったので自分の母親に相談

したわ。彼女は、少女たちを私たちの家にひきとって避難させたんだけど、警察

はそれをゆるさなかったの。」と述べた。

アネットは、業界については現実的だ。

「アダルト業界に入るということは社会的不名誉にさらされるのを覚悟しない

とね。もし私が弁護士なら、裁判所と戦うわ。女優個人には道徳的な罪でない... ..

.この業界に入るということが汚名をきるということなの。スクリーン上でそう

いうことことをしているからといって、自分も含めて女性がみなそういうことして

いると認めたわけではないし、それを薦めるわけではない。でもそう誤解する人が

いることも承知していたし、それでも私はスクリーンに出ていた。私はそれを誇り

に思うけれど、私の基準にあうなら、どんな役柄でも、相手が誰でも拒絶したこと

はないわ。この仕事はだれにでもできるってわけじゃないし、私も自分が向いてい

るかどうか本当のところはよく分からないの。カメラの前でセックスできるには

特別な人にならなければならないわ。

だって、その一方で一般社会と折り合っていかなければならないのだから。"

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アネットへブン物語5

ポルノの価値についてについてすべての人がアネットと同感というわけではない。

俳優兼監督のジョンゼーマンは「Desires Within Young Girls' (1977)」の撮影中

のエピソードを回想している。確か海を見晴らすことのできる雑木林のシーンだっ

た。アネットと私がセックスしている時に若い女の子が息子をつれてハイキング

していたんだ。彼女は私たちを見て、警察に通報した。1人の警官が、森を探索

しはじめた。私たちはスタッフも含めて総勢20人くらいだったと思う。彼は、

フィルムを没収し、アネットと私は逮捕された。私はカリフォルニアの免許証を

みせて開放されたんだが、アネットは免許証をもっていなかったので監獄に行か

ざるを得なかった。そこで彼女はさしだされるノートや紙片に機械的に次から

次へサインをしていたよ。我々は公共の場で裸を見せたことで有罪判決を受けた。

1?2年の、執行猶予つきだったけどね。」

アネットも後に同じ事故を回想している。 「プロダクションマネージャーは、

我々に大丈夫だからと確約したのよ。誰にもみつかりっこないって。誰か近ず

いたら警告するからって。でもそこは公共の場だから当然のことがおこったわ。

私がジョンゼーマンに身体をあずけているときに子供つれの女性がやってきて

警察を呼んだ、というわかよ。当然よね。私たちは人前でそんなことをしては

だめなのよ。残念なことにそこで、IDをもっていないのは、グループ内の私だけ

だったの。収監されたのは私だけ、それはいいのよ。私は女性らしく扱われて、

4時間後、釈放されてセットに戻ったわ。"




Annette & Mainstream Hollywood

アネット&主流のハリウッド

1970年代後半、アネットヘブンは同僚のポルノスター、ポール=トーマスとロマン

チックな関係になり、さまざまなゴシップ雑誌で8回も取り上げられた。 1980年台

になると、彼女は再びボーデレクとの関係を復活させ、ブレイクエドワーズによる

古典的な喜劇「10」に、SerenaやConstance Money 、 Dorothy LeMayのようなポルノ

スターと肩をならべて出演した。


「Dudley Moore は 本当にすばらしいホンモノの男性だったわ. そのシーンでは

彼は他のみんなといっしょに裸になったわ。何の問題もなくね・・彼は完璧に

冷静だったわ。」 Dorothy LeMay は後に回想している

「撮影は2日間の予定だった。でも天候が悪くて、おまけにBlake Edwards は気に

入った条件でないと絶対に撮影しないんだ。でも僕たちは一応報酬を受け取って

いるわけだし・・そんなこんなでとまっていた Culver City hotel の一室で馬鹿

騒ぎをやらかしたわけさ。 Annetteはお得意のレザーパーティーを始めたんだ。

ルームサービスがやってきた。そこには Jamie Gillisも Serena もいたんだよ.

驚いただろうな. ホテル側はカンカンで、僕たちは2度とルームサービスに来て

もらえなくなったんだ。」

「10」でのBlake Edwards との関係はハリウッド本流から受け取った、唯一の前

向きな関係だった。「彼は特別に礼儀正しくてすばらしかったわ。いやらしい目つき

でじろじろ見られるのは慣れていたけど、彼はけっしてそんなことはしなかった。

私はハリウッドにもキャスティング専門のコーチがいるなんて知らなかったの。

私はそれぞれの演技力によって役がつくんだと無邪気におもっていた・・私は古巣

のポルノ業界をちょっと見直したわ。少なくともその点においては我々は先行した

のだから。

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アネットへブン物語6

ハリウッドの主流派を彼女が嫌いなのは、メジャーな俳優たちとの個人的な

関係の結果でもあった

「ゴミみたいなLAの広報担当があっせんしたのよ。彼女は私から頼んで、パラマ

ウントの人々とあわせてもらったという形でセットアップした。本当のところは、

プロデューサーの方が、この映画を望んでいたんだけどね... だから、彼のオフ

ィスでの会議はとても印象的だったわ。プロデューサーとそのお仲間は、ばか

騒ぎが大好きな頭の空っぽな女の子と仕事がしたかったみたい。6時間も言い

争ったあと、私はかれらにとどめをさしたの。

「私はスクリーン上ではセックスするけれど、プロデューサーとはごめんだわ」

その時点でインタヴューは終わったわ。彼ったら戦略を変えたのよ。気を悪くさ

せたお詫びかどうか知らないけれど私をビバリーヒルズのホテルに連れて行って

くれたわ。私たちはダブル=デートを装ったの。彼のお仲間と、この広報担当と

でね。2人の男性は私たちとセックスしようとしたの、そんなことは彼女も私も

ごめんだったわ。それでまた方針を変えた彼らは、私とパラマウントのプロデュ

ーサーをホテルの一室に置き去りにしてどこかへ行ってしまったの。夕食の席で

私は鎮静剤/催眠剤を3錠服用し、たらふくアルコールを飲んだわ。自分の限界

は知っているつもりだけど、その限界近くだったことは間違いないわね。彼が

襲ってこないだけ大丈夫だったわ。彼はコカインでハイになっていた。それで

私を裸にしてどちらかというと変態に近いセックスをしようとしたのよ。彼は

舌を私の肛門に入れて、彼の上に排泄しろっていったのよ!

彼は自分のちっぽけな一物を私の顔に押し付けた、いままでみたこともない醜い

ペニスだったわ。私は吐き出した。ゲーゲー言っているのをレイプするのは難

しいわよね。

1984年にはアネットはブライアン=デ=パルマ監督の映画「ダブル'(1984)」

で主役はどうか、という話が舞い込んだ。殺人事件に巻き込まれたホリー

ボディという名のポルノ女優の役だ。でもアネットによると、「そういう話

になったのはコカコーラ社が知らなかったから。だってコロンビア映画はコカ

コーラ社の言うなりだからね。彼らは私の前歴が前歴なので躊躇したみたい。

それだけのことよ」その役は最終的にはメラニーグリフィスが演じることに

なった。アネットはコンサルタントとしてセットにとどまったが、完成版を

みた彼女は映画があまりにも暴力的なので、役がつかなくてほっとしたと

回想している。ポルノ映画への擁護と、暴力映画への反発は彼女のキャリア

に影響した。 「ハウリング」で主演女優を降りたのは、彼らがポルノ

ショップを集客のために利用したからよ。マニアが少女をのぞき見ショーに

出演させたり、その娘をレイプしたりというのストーリーは暴力的だし、

アダルト業界の危険性を強調しすぎているわ。私はこの部分の撮影を拒否

した。私は「hardcore」も嫌なの、しかし、ああいう冗談映画だったで

それについて目くじらをたてることはないと思ったわ。ばかげている?

そうよねね。ちょっとした暴力シーンや無意味な部分のために私は2月

だけでも$ 23,000をふいにしたんですもの。

 アネットは、「Hawaii Five-O」(アメリカCBS系で1968年から1980年

まで12シーズンに渡り、284話が放送されたテレビドラマ)など過激な

視覚的な暴力描写を避けた作品にも出演している。

残りの10年と引退t: 1980-1989

1980年代になってものアネットは'Peaches And Cream' (1981), 'Memphis

Cathouse Blues' (1982) and 'Bodies In Heat' (1983),など品質の優れた

ポルノ映画に出演しているが、彼女の出演は少なくなった。ビデオの時代

となり、より若いスターたち、 Ginger Lynn, Amber Lynn に Traci Lords

などが彼女の地位にせまりつつあった。彼女たちの中で、演技力において

アネットヘブンに勝るものはいなかったが、常に新鮮な顔を追求するこの

業界のこと、彼らの人気はアネットを追い抜くようになった。


アネットへブン物語7

また、ビデオの出現は、業界内での品質管理の

考えを劇的に変えた。 "製作会社は、できるだけ安価にそしてできるだけ

早くビデオを作ろうとしているの。その結果は見ての通りよ。

彼らは、本当によい作品を作るにはどんなに時間とエネルギーがかかるか、

知らないか、そんなことはどうでもいいと思っているみたい。

私たちが出演していた70年代中ごろから70年代後半、すべての作品が素晴ら

しいとはいえないけれど、少しずつよくなっていったんだけど・・」

彼女は再度大学に入学し、コンピュータプログラマーになるために勉強を

始めた。 彼女の最後の出演映画は「Grafenburgスポット'(1985)」

で、ジンジャーリンと共演している。ジンジャーは後にこう回想して

いる「アネットはいわゆる顔射をとても嫌がっていたわ。もっとも

私たち女優にはだれにでも認容できるプレイとそうでないプレイがある

ので彼女の場合はたまたま顔射がNGだっただけだと思うけど。

「Grafenburgスポット」ではアネットは医師役で私は患者役だった。

この映画はたまたま女性の射精を扱っていた。... この業界の誰もが

アネットが男性の射精を顔に浴びるのが嫌いなこと知っていた。で、

ミッチェル兄弟はこう言っていたわ「是が非でもアネットの顔が

濡れるシーンを撮るんだ。これが一番の重要なんだ。そうすれば歴史に

残るぜ。」私はさんざんそう言い聞かせられ、準備をしていたの。

彼女は顔を私の腰のあたりに置いたので当然彼女の顔にかかったわ。

でも彼女はその撮影をとっても嫌がったので、テイク2もあるわ。

すごいことよね。」

アネットはAIDSを恐れて1885年には実質的に引退していたが、1989年に

「Bodies In Heat-The Seque(1989)」と「Talk Dirty To Me 6' (1989)」

で復帰しいる。ただ、両作品とも彼女が登場したのはレズシーンだけだった。

この時すでに35歳にもかかわらず彼女はまだほっそりと美しく

見えた。これら2つの映画に出演したあと、彼女は再び引退した。

「もうこういうのはたくさんよ」

と後に彼女は語っている。アネットは、サンフランシスコのベイエリアに移り、

コンピュータで学位をとっている。彼女は裕福な実業家と結婚しカリフォルニア

州マリン郡の静かな住宅地に住んでいる。

おわりに

引退しても、アネットヘブンはアダルト業界とのコンタクトを失ったことはない。

彼女は1990年代後半、夫に励まされて現場に戻った。

「私は嫉妬深い男とは結婚したくなかったわ。それは病気よ。ほかの人ではこうは

いかなかったと思う。」だが、彼女が登場したのはもっぱらフェチと緊縛映画

だった。「お金のためじゃないわ。もし私が売春婦になれば、私とベッドをとも

にするのに100万ドル払う、という人もいたわ。」。この時点では業界内でエイズに

感染するのではないかという彼女の恐れもだいぶおさまっていた。

「この業界でエイズにかかったのは針フリークや同性愛者だけよ。私が画面上に

セックスした時はみんなコンドームなんかつけていなかったわ。

アネットヘブンはアメリカの成人映画の先駆者の一人であり、彼女の同時代の

伝説的な男性スターすべてと共演している。 ジョン・ホームズ、ジョン・レスリー、

ポール・トーマス、エリック・エドワーズ、ウェイド・ニコルズ、ジェイミー・ギリス

と ジョーイ・シルヴェラ。ヨーロッパの女優たち、たとえば ブリジット・ラーエ や

チチョリーナと同様、彼女はポルノ業界における自分の活動を理想化してのべている

その結果彼女は保守的なものの見方や教育問題に直面することになった。

「私は、ジンジャー・リン やトレイシー・ローズやほかの女優たちのようなやり方で

この業界で生きてきたわけではないの。ポルノ映画は性的な事柄について話すための

優れたプラットフォームだと思う。それに私にとってはとても重要なの。私は私の

ガールフレンドが性教育不足のために人間として駄目になるのを見て育ったわ。私が

この業界で働きはじめたのは19歳からだったけど、私の女友達が近親相姦レイプの

果てに13歳で出産されられたのがショックで、16歳の時にはラスベガスの自宅を

出たわ。あのかわいそうなイメージはいまでも私の心に新鮮に浮かんでくるわ。

できることなら私は人々にメッセージを届けたいと思ったの。」

リンダ・ラブレイス や トレイシー・ローズと違って、彼女は、アダルト業界に

対して歯向かったことはない。

「だって当のお嬢さん方は自分自身でファックしたのよ。ポルノ映画業界のプロ

デューサーは、一般的に誠実でハリウッド映画のプロデューサーより信頼できるわ。

この点ではアダルト映画業界はかなり進んでいると思う。

「私はかなり厳格に、性的な面でよ、、そだてられたので、性的に抑圧されていたの....

ボーイフレンドと愛しあう時でも電気をつけたままにするかどうがで、ずいぶん議論

したわ。」彼女はこの業界では名誉ある殿堂入りの資格を有する女優の一人である。

マリリン・チェンバースやセレナ、ヴァネッサ・デル・リオやレスリーボーベイなどの

名前と共に、彼女は間違いなくポルノ業界が生んだ元スーパースターの一人だった。

彼女とは美しいだけではなく、同時代のほかの女優と異なり、いい女優だった。

最初に引退するまで12年間、ハードコア映画をヒットさせ続けたのが、なによりの

証拠だ。
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